お相手探しのテクニックを磨こう
上海留学を通して女性とのつきあいを深めていく
上海
新治は中国語を学びながら、ホテルに長期滞在している。30歳の誕生日を上海で迎え、すっかり中国人になったつもりになっている。
きりぎりすさえいなくなった混沌の大都会、沈黙の春の上海。ドミトリーにギターを持ち込み、自作自演の歌でさみしさを紛らわす。あれはだれ。
“汽車は、走る、大陸を、都会で傷ついた心を乗せ。
“菜の花畑、あぜ道を水牛が引かれて行く。
“どこまでも続く平原を走り続ける。
新治とは長期相部屋の自称国際浮浪者石川和夫である。療養をかねて気功を勉強している。
今日も閑散とした2階の部屋から聞こえて来るギターの響き。
そこへタクシーでやってきたのは、学生風の3人組。
「今日、上海についたんですか」
「今はシーズンオフで、われわれだけですよ。」
「貸し切りですね。」
「さみしいじゃありませんか。でもね、ここ中国は女には不自由しませんよ」
新治が自信たっぷりに言った。
「本当ですか。」
「まあね。」和夫もあいづちをうつ。
「ただし、結婚前提の付き合いになります。2、3回デートするともう、親戚全員が集まって会食、品定めというパターンが多いですよ。」
「ぼくはそれでもいいです。」
「今話しがきているのは20才の娘でね。日本人ならだれとでもいいみたいですよ。もちろん結婚です。すぐにでも、ここへ来ますよ。でも、こちらから探していいのがいたらアタックという方が良いかも知れない。まず、日本語学校へもぐり込んでみましょう。」
「ちょと恥ずかしくないですか。」
「上海にはそういう意味の恥ずかしいという言葉がないんですよ。」
「ではさっそく明日、アタックしましょう。」
「なんか、楽しそう。」
「是非お願いします」こうして、異国での男女交際が始まる。
日本語学校、大学の日本語のクラス。地域の日本語サークルなど、いきなり入って行って、さりげなく日本語を教える。そして、中国語を教えて下さいと頼み込む。
……………さて女性とつきあうに当たってのテクニックの一端を参考文献から抜粋して挙げておこう。………
外国語をマスターするには、彼女をつくるのが早道である。逆に言えば、外国語を覚える気がなければ彼女にするチャンスは減る。言葉を教えてもらうことにかこつけて、付き合っていくこと。
チャンスを逃さないこと。たとえ肘鉄をくらってもこちらから声をかけまくる。選んでいる時間はない。ただし、向こうから声をかけて来る場合は危険。向こうから誘われた場合は絶対に気を許してはならない。警戒しながら付き合い、いさぎよくひくこと。
まず、笑顔、そして褒める。なんでもいいから、まず褒め言葉を覚えて連発すること。これは必ず必要です。はずかしがることはない。
つきあい始めたら、全精神を注いで心から愛すことです。
(一)上海女性の羞恥心
ブルースリーはばかにされがちな中国人の面目を一新したいと頑張って、一流の映画を作ったと言う。大通りで、中年男女が人だかりの中で、血を流しながら、掴み合いのけんかをしていたり、母親が子供の出すごみを放りなげたりするのを見ると、確かに、馬鹿にされてもしかたないと思うのである。
ことがおきてもあやまることを知らない。大声でののしりあう。いったん友人になると手のひらかえしたようにやけに面倒みが良い。幼稚である。
上海の裏通りを歩くと、まず目につくのがずらりと吊されたパンティたちである。表通りにも、街路樹にハンガーでぶら下げられている。背が高いと顔に触れる。
後で気が付いたのであるが、この国では、男もビキニのパンツをはく。違いと言ったら、裏から三角形の布があたって二重にしてある位置である。前が二重のものは男もの、後ろが二重のものは女もので、干してある場合はどちらが前かわからないので、つまりは、半分は男ものなのだ。更に言えることは、中年以上の女性でもビキニが流行っているので、気をつけないといけない。余談だが、この国では中年というのは50代前後をさすと言う。くわばらくわばら。
街角では、歩道に座りこんで物を売るおばさん、スカートの奥がまる見えである。
上海の夏は暑い、昼下がり外を歩くと熱風でくらくらする。ふと道路の反対側を見ると、スカートの端をつかんでハンドルを握って、自転車にのっている。スカートをひらひらさせて風を入れながら走るこの光景も日常的である。中には、うすいパジャマのまま、道に立っていて、なんと、生理帯がくっきりと浮いていて見えてしまうこともある。
ちょっとした雑貨屋でもごていねいにパンティを壁にはったり、吊したりしている。ホテルの前のバス停のたばこやの壁には、白い綿のビキニの見本がむきだしでかざってあるのだが、手垢と埃で色が変わっている。日本式パンツと説明いりだ。反対側の洋服屋は、洋服は数えるほどしか置いていないにもかかわらず、通りに面したショーウインドウにはいろとりどりのパンティが飾ってある。これも日本式らしい、新治が値段をきくと普通のパンティの10倍位の値である。どうやらこの国には羞恥心というものがないらしいのである。
ホテルの洗面所によくピンクのパンティとブラジャーが、えもんかけにかけてある。服務員のものなのだが、飲用のステンレスのお湯タンクにくっつけるようにして干してある。ときに、外人の宿泊客がまねをしてビニールの細紐に干してあるが、それは、たいがいよれよれの使い古しの代物だ。
(二)ミス りーとの出会い
ミスりーは医学部のインターン、医者の卵である。和夫が通っている病院で、マッサージの実技に入った頃一緒になった。
マッサージの練習のため診療台に横になったミスりーは、超ミニスカートで、まぶしかった。和夫はミスリーの腰やら足やら、慣れない手つきでマッサージしながら、どぎまぎしどうしだった。おかっぱで、初々しい感じであった。
ところが、期待に反してそれ以来、一緒に授業を受けることはなかった。いつもの子持ちで、しなびかげんの看護婦さんだけである。この看護婦さんが魅力的だったら、どれほど心が明るくなったか知れない。お茶で言えばでがらし、すうどんのように飾り気がない。
何日かたっていつものように病院の階段を登っていると、上から見たことのある顔が降りてきた。満面の笑みで挨拶をする。まぎれもなくミスりーである。これは、千載一遇のチャンスである。英語で話しかけると
「私、英語わかります。」と笑いながらこたえてくれた。
「いろいろ教えてもらいたいんですが、」和夫は踊る心を押さえて言った。
「昼休みに入り口で待っています。」やった。
それからは、連日昼休みに待ち合わせ、長いすに腰かけて話しこんだ。どうやら日本人と結婚したがっているらしい。独身の日本人男性を紹介して欲しいとせがまれて、和夫は上海語を教えてもらう約束で独身の新治に紹介した。
新治とミスりーは休みの日に、繁華街をデートした。いいところを見せようと目にとまったスカーフを買ってあげようというのにがんとしてうけつけない。それならば何かいい物を食べようと言っても、家で食べるからと言う。結局手をつないで歩いただけだった。新治には、しつけがいいのか、純真なのかわからなかった。
ラッキーなことはかさなるもので、新治と和夫のドミトリーに、日本人の若い女性が入って相部屋となった。割り振ってくれる服務員に気持ちが通じてきたのかも知れない。女性達にかこまれて華やいだ生活となった。1週間してその女性が出ていくと入れ代わりに、なんと、また一人旅の女性が入ってきたのである。
宮田洋子は、イギリス留学を終え、現地で知り合った恋人と別れて帰国の途中であった。彼が中国人だったせいで、中国に興味を持ったという。インテリ風の眼鏡の目立つ宮田洋子は、和夫には、しっかりものにうつり、はるかに年下なのにもかかわらず、人生のことや、運命のことなどを、夜遅くまで話し合った。
ミスりーは、英語のできる宮田洋子をいたく気に入り、仕事を休んで洋子を案内すると言いだし、2人で上海を歩いた。
宮田洋子は帰ってきてから新治のミスりーに対する気持ちをさりげなく聞いた。どうやら、ミスりーは宮田洋子に新治のことをいろいろ聞いたようだ。
「新治さんはこれからもミスりーとつきあうんですよね」
「上海語を教えてもらうつもりなんですよ」
「ミスりーは美人ですね。」
「ほんとにそう思いますか。」
「やくしまるひろこにそっくりじゃないですか。」
「セーラー服と機関銃の俳優ですか。そういえば似てますね。」勉強しながら聞いていた和夫が口をはさんだ。
そう言われてみればまんざらでもない。この頃は、ホテルの部屋にも訪ねてくるが、黒いミニスカートばかりが気になって、顔まで目がいきとどかなかった面もある。
「ミスりーは新治さんのこと好きみたいですよ。」
部屋にくるなり、いきなりあちこち電話したり、急に帰ってしまったり、中国語の勉強には全くならない。いつも何か考えごとをしているような表情をする。この一言で、新治は、ミスりーの行動の意味が少しわかった。誰彼に相談して新治のことを知ろうとしているらしい。
「新治さんはミスりーを日本に留学させるつもりなんですか。」
「そうですね。勉強させてもらうお礼にね。でも、ぼくが勉強するのが先ですから」
(三)ダンスパーティーにて
次の日にミスりーはいつもの顔からこぼれんばかりの笑顔でダンスパーティの券を持って来た。大学の構内で、いつもやっていると言う。
和夫は風邪気味で、熱っぽかったが、ダンスパーティなどはじめてなのでつきあうことにした。
4人でバスで向かった。上海の街は繁華街以外は暗い、バスの中も走っている間は真っ暗だ。ぼんやりミスりーの顔が見える。どうしてあんなににこにこしたいい顔ができるのだろう。宮田洋子とは対照的だ。
バスから降りて、暗い闇の中を、大学の構内に入って行く、街路樹にもたれて暗闇で抱き合っている男女がいる。この暗さは今の日本にはない。
会場は、人であふれていた。これなら目立つこともない。
和夫も宮田洋子とミスりーと交替で踊った。ときどき、ゴーゴーになる、そのときは4人で踊る。端にしつらえた、木のベンチに座って、飲み物を頼んだ。いろつきのジュースである。
天井の照明は、変わっている。よく夜店で売っているセルロイドのお面を向かい合わせて、中に白熱球をいれてある。それから、クリスマスで使うような、赤、青、黄色のちいさな電球がたくさんついた電線、そのひとつひとつが、ぼんやりと、天井を照らしているのである。新治はそのひとつひとつを見ながら、ミスりーと踊っているうち、忘れていたある種の感情に包まれた。このままいつまでも踊り続けていたかった。
これが恋の始まりであった。それまで、勉強を教えてもらう相手だった女が、女として、その存在をはっきりさせた。お面のうらぶれた色が、ぐるぐると頭の中を巡り、甘い恋を呼び覚ませた。宮田洋子のおきみやげのように新治の心になにかがともった。
和夫がどこからか聞いてきて話した話を新治は思い出した。単身赴任で来ていた商社マンが、上海の女性とできてしまった。女性の家族の訴えで警察に踏み込まれて、パスポートを取り上げられてしまった。日本の妻子と手をきって上海で、その女性と暮らすはめになったという。有名な話しらしい。新治はミスりーとつきあえば結婚せざるをえなくなるのかなと思った。国際結婚か。それもいいと思った。
2、3日して今度は弁護士をしているミスりーの兄を誘ってダンスパーティにいくことになった。今度は新治一人でいくことになった。
上海でバスにのるのは、なかなか根性がいる。タクシーにのるのは更に根性を必要とするのである。7時に待ち合わせてあったので、バス停留所に向かった。運よく、バスはすぐ来た。ところが、2、3駅行ったところで止まってしまった。バスと言っても電気で動く、トロリーである。
前をみると、2、3台が立ち往生しているのが見える。先頭のバスにうつった方がいいだろう。ドアが開いたので新治は前方へ向かって走り始めた。その先にも5、6台詰まっていた。先頭まできて架線をみると、はずれて地面に落ちている。
その先で乗換え、左方向に曲がることになっている。そこまで行って見よう。新治は走り始めた。そんなときは、タクシーも満車が多い。そればかりでなく、タクシーの運転手は、標準語が通じない。習ったばかりの中国語で何回発音しても、わかってくれない。だいたい、複雑な上海で行き先を正確に言うことなんかできるものではないのだ。
15分遅れで、待ち合わせ場所にたどりつくと、ミスりーの同級生も2人来ていた。
ダンスパーティの会場で、ミスりーの兄はベンチに座ったきりだ。ミスりーの同級生が誘っても彼はなかなか踊ろうとしない。新治が相手をした。どうやらミスりーは兄に同級生をひきあわせたらしいが、兄はとまどっているようす。新治は同級生とも踊るが身が入らない。。
ワルツが踊れない新治を尻目に、ミスりーが誘われるままに他の男性と踊っているときは心安らからずだ。
「セクシーってどういう意味?」ミスりーがいきなり新治に聞いた。
「今踊った男の人にいわれたの」新治は黙って微笑んだ。黒のシャツとミニスカートが眩しい。ミスリーの兄がジュースを買ってきた。
「踊らないんですか。せっかくミスりーの友達もきているのに。」
「いや、どうもダンスは苦手で。踊ったことないんですよ。今度いろいろ教えてもらえませんか。」新治もチークダンスしか踊れないのである。
「ええ、何をですか。」
「その、女性との付き合い方ですよ。経験がないものですから。」悩みはいづこも同じなのだ。兄は不安そうに更に尋ねる。
「ところで、ミスりーの友達二人はどうですか。つきあってみるには。その、つきあってみたほうがいいでしょうか。それともつきあうほどのこともないでしょうか。」
「学校の教師をやっている人はなかなかいいですよ。」
新治は、同年輩の男の言葉とはとうてい思えない言葉に、この国の男女関係はどうなっているのかと、同情してしまった。
(四)キスの味
ミスりーは病院の帰りに毎日ホテルに立ち寄るようになった。ホテルの部屋で二人だけになると、新治はミスりーを抱いた。からだがほわっとする。
「まるであかちゃんみたいね。あなたって」新治はミスリーを抱いたまま、長い時間横になるのが好きだった。
「セックスは結婚する人にだけ。」ベッドに横になるとミスりーが冗談ぽく言った。
新治は毎日、ホテルに来たミスりーをバスで送る。遅くなって送るバスの中で、しっかりとだきしめているうち30分があっと言う間。ミスりーの家の近くの真っ暗な路地で、壁に寄り掛かって終バスの時間まで、抱き合う。皮のジャンパーの背が白くなった。終バスは12時である。ある日、乗り換え地点で降りるのを忘れて、最終に間に合わなかった。小雨の中を走ってホテルに戻った。
和夫が起きていてギターの弾き語りを聴かせた。新治はなぜか胸が熱くなった。
ミスりーが新治と和夫を家に招待した。
ミスりーの家は家賃100円の公団住宅だ。コンクリート住宅である。ドアを開けるとすぐ台所とトイレになっている。
台所から続く通路を兼ねた部屋に2段ベットが置いてあり、上にミスりーが寝ていると言う。見渡しても、ベッドだけで本とか、勉強机といったものはない。どこで勉強してるのかと不思議に思った。
「ここは両親が寝ているベッド」奥の部屋に大きなベッドがでんと据えてあり、戸棚とタンスがならんでいる。食卓兼用の応接セットを合わせるとちょうど部屋が一杯なのだ。戸棚の上には専用のピンクの刺繍入りの布製カバーがかけられた15インチのカラーテレビが置いてある。
4人家族でこの2部屋だけである。それでも上海平均よりは、余裕があるほうだという。トイレがあるだけでもすごい。
ミスりーは旧式のラジカセを出してきて、勉強しているとき聴いているという、クラシックのテープをで聞かせた。
弁護士をしている兄が料理を作り始める。ここでは、男が台所に立つのは普通で、夕飯時ともなれば、仕事を終えた男たちが、かいがいしく働いている姿をよく見る。
和夫が看護婦さんの家にマージャンをしに行ったときも、主人が次から次にもくもくとお茶や料理を作って出してくれた。燃料は普通はまきか練炭であるが、ガスも普及してきている。
料理が並んだ。レストランでは単品の野菜炒めが定番だが、家庭では保存のきく鶏や豚のくんせいとか、味付けの濃い肉類が多い。鶏も、内臓も大嫌いの和夫は、一回目の招待は、とりわけ辛いおもいをする。新治はおいしそうに食べていた。
しいたけの煮付けがおいしかったので、和夫が「おいしい」というと、いきなり山のように和夫の皿に盛った。
あと片付けも、兄がやっていた。平均の月収は、3500円と言われているが、お客さんには1000円相当のものを出すのは普通である。お客を呼んだあとは、つつましい生活をしなければならないとも聞いている。そうまでして接待するのが、礼儀というものらしい。
そうこうするうち母親が帰って来た。外は零下に冷えているはずなのに、暖房は全くなく、ただ熱いお茶を飲むだけだ。母親は外出着のままベッドに横たわった。
冬の服装はセーターを2、3枚重ね着し、その上に綿の上着を着る。下はと言えば、防寒靴の下に厚い靴下。驚いたことには、ももしきの上から、毛糸のズボン下を2枚重ねさらに木綿のズボンをはいている。母もまるまると着脹れて、手だけがちょこんと出ている。
新治の帰国が迫ったある日、ミスりーがホテルに英語の得意な女友達を連れて来た。いろっぽさのかけらもない、元気だけがとりえの女性である。ミスりーが日本に留学するとなると、どういう生活が考えられるのかといったことを盛んにたずねる。売春などの話しに及んで新治は、中国語に慣れるために買っておいた、中国版ハウツゥーセックスを見せた。
「これはどこで買いましたか。今まで見たことがないです。ちょっと見てもいいですか。」友達はそういって、それに没頭してしまった。
和夫がおもしろがって、中国で一時期、出回ってすぐ禁止になった人体芸術という、ヌードの本を出してきた。この本は、外国からの持ち込んだヌードグラビアをカラーで編集したもので、相当多くの種類が街中にでまわった。なかには中国で撮影された、田舎くさい豊満すぎるものもあった。和夫は記念のため2冊買っておいたのだ。
上海では、住宅事情からみてもセックスのチャンスに恵まれない若者が多いのではないかと新治は想像した。家が狭いため、若い男女が、いちゃいちゃできる場所はなかなか少ない。夜の木の下や公園のベンチで、中年も含めて、体を寄せあっている姿をよくみかけた。これだけ過密ではセックスまではやりにくいと思われる。
(五)深夜食堂
新治はいつものようにミスりーを送ったあと和夫を誘った。ホテルの近くの飲食店をのぞいてみると、若い女の子が料理を作っている。
「二十歳」というその女は、裸電球の下でもくもくと朝まで働いている。一帯は工場の裏手で、古くからの住宅街、屋根裏部屋にも住んで、店が終った後のテーブルも、ベッド替わりとなる場所だ。夏場は、季節労働者が歩道に布団を敷いて寝る。
昼間、水で練って乾燥させておいた石炭の粉の固まりが燃料。けっこうまきも使われている。市街地の歩道でまきわりをする姿も目につく。成型された練炭などは高級である。
食堂の前の道路の端にでんと置いたドラム缶。その中に、石炭の粉を練って形を整え、うまい具合に火を起こす。電気で回る小型の送風機がドラム缶の下の空気口の前に置いてあり、それで火力を調節できる。
「細い麺あるかい」新治が傾いたテーブルについて、声をかけると、愛想もなにもあったものではない。ぶすっとしたまま。「ある」と答える。奥のテーブルの上にむきだしのままに皿にのっている肉とか、野菜とかを指差して、「いくら」ときくと、50円とか100円とか返事が帰って来るが、だいぶひからびているのである。よく見ると、ひからびた上にごみにまみれているのもある。
今日のメニューは、たち魚の切り身、なまずような魚のぶつぎり、これは150円もする。
数人で食べる鍋のセット、400円、庶民にはべらぼうに高い。マッシュルームに豚肉。河口でとれる貝、たまねぎと豚肉。ピーマンと豚肉の細切り、これは有名なチンジャオロースーで一皿90円なり。
夏には、緑の野菜がいろどりを添える。そしてビール。一本30円からある。
注文する前には必ず値段を聞く、値切れるものは値切る。ぼられたと気づいてからあとで値切るのは大変だ。暇な人種に取り巻かれ、大騒ぎになり兼ねない。そういうときは「もうこんな店に来てやるか」とすてぜりふをはいて、請求通りに払って帰る。むなくそ悪いのを我慢して。
「新鮮なのはあるか」ときけば、ぶっきらぼうに「ない」と答える。地元の人でさえ、こういう店は不衛生で危険だから止めろとアドバイスしてくれる。他人に食べさせる物にかんしては衛生観念がないらしい。何も知らない日本人学生は、ろくに見もしないで注文し、平気でおいしい、おいしいと平らげる。
和夫の通っている病院に、夏場は腸炎流行中の掲示板が出ていて、絶対に半露店の食堂では食べないようにと念を押された。4、5年前のA型肝炎の流行のときは、数万人がかかり、現在では60%が陽性だとも言われている。
肝炎が陰性の人は箸を自分で用意し、うつわなども、自分でお湯をもらって洗う方が良さそう。出されたコップなども現地の人でさえ、ティッシュで拭いたり、ビールで洗ったりしているほどである。
女はのんびりとした手つきで仕事を始める。中華鍋をドラム缶の上に乗せる。送風機がごうごういい、炎が上がる。おたまで足元のバケツの水をすくって鍋に入れ、鍋を洗った水をぱっと道路に捨てる。水道は遠いので、すべてバケツの水を使う、よせばいいのに和夫がバケツをのぞくと、もやしのかすやゴミが浮いている。新治に指さして見せると新治はビールのコップをもちあげてアルコール消毒されるから大丈夫さとわらっている。
道路には汚物入れがでんと置いてあり、その下は下水になっている。とても合理的な構造なのである。どうやら保健所の目もここまでは届かないと見える。
いよいよ目がはなせない。女のごみだらけの髪、きたきりすずめのきぶくれたちゃんちゃんこのような服、その横の台の上にはぞうきんが置いてある。さきほどテーブルを確かにふいていたぞうきんでどんぶりをさっとふいて台に置き、ゆで上がった麺を入れる。一瞬なので注意していなければ気がつかない。
鍋に付着したおこげなどは、金属のへらでかきとったあと、竹のはけで、道路上の汚物入れにあける。
こんどは、鍋に油をいれて、冷蔵庫から出した骨付き豚肉をから揚げにし、更にテーブルに並んでいる調味料をおたまですくって、スープをつくって、どんぶりにかけて出来上がり。醤油味の柔らかい肉に、細い麺、これほど念入りにつくってもらうと、不衛生なことは忘れる。これで50円、ぜいたくは言えません。
食べ終わって、またあした来るよというと、のんびりした動作で微笑んだ。
これでもう少し見られる女ならいいんでけど。さすがの新治も手は出ない。じみでまじめでもくもくと、ゆっくり、とてもゆっくり仕事をしているのである。
真っ黒く煤けた天井、汚れほうだいの壁、壊れかかったいすや、油のこびりついた窓。黒光りして芸術品である。二人は真っ暗な路地を抜けて、ホテルに戻った。
(六)図書館の日本語サークル
和夫の友達の案内で、新治は区の図書館に日本語英語のサークルに行ったことがあった。
月曜日の夜待ち合わせて行ってみると、以外にホテルから近かった。
まず英語の方を覗いてみるとビデオを囲んで若い女性たちの熱気が凄い。
おめあての日本語の方へ参加してみると、日本語の教師をしている女性を囲んで、7、8人が集まっていた。ところがどういう訳かみんな年配で、若い女性は一人だけだった。日本語がかなりうまい中年の男が、すぐ通訳をかってでた。楊香春というその若い女性は、通訳に促されるようにして、日曜日に魯迅公園で会話練習をしていますから一緒に参加しませんかと言った。
住所を教えてもらい、新治は、ホテルの電話と場所を教えた。
中年の男は、新治の耳に口を近付けて、「彼女はいますか」と聞いた。新治は失礼なやつだと思いながら「5人います。」と答えた。男は、後で楊香春にあの男は、彼女が5人もいるからつきあっちゃだめだと、しつこく繰り返したという。きれいずきの楊香春は、新治の長い髪、髭も剃り残し、不潔な感じにびっくりしたが、一度はつきあおうと、男の言葉は気にせず、新治のホテルに電話した。
楊香春が勤めている繊維関係の国営会社が、倒産状態なのである。日本語を勉強して条件のいい会社につとめようとしていた。まだひらがなをやっと覚えたところだったが、夜間の講習に参加して勉強中だった。
日曜日、新治はホテルに迎えにきた楊香春をともなって魯迅公園へ向かった。
公園内を散策して、簡単な食事をして、戻ってきた。
その後も何回か図書館へ一人で行ったが、楊香春とは会えなかった。
遊びがてらギターを持って行ったとき、英語のグループの女性が声をかけてきた。ギターにあわせて一緒に歌った。彼女はカラオケの割引き券があるから、一緒に行かないかと誘った。日をあらためて会った。まちをうろうろして深夜になった。家の近くまで送っての別れ際、
「また会いましょう。」
「水曜日の夜どうですか」
「では7時に」
「年はいくつですか。」ときかれた。もう年を聞くなんてと黙っていた。
「中国の女性と結婚できますか。」更にたたみかけてくる。
新治はついできないと言った。あとでてしまったと思った。案の定次のデートの約束はすっぽかされた。
(七)旧正月
さて、上海の生活も回を重ね、旧正月を迎えることになった。
ミスりーと楽しい正月を予想していた新治は、悲惨な状況に直面した。
実は、上海に好きな人がいます。そちらを選ぶことになりました。5年は待てないというのがミスりーの答えである。ふたまたかけていたのである。新治は、それならそれで勝手にすればとおもったがやたらに寂しい。ルームメイトの和夫は寒さを避けて雲南の方へ旅にでている。こんなことなら新治も一緒に行けばよかったと悔やんだ。
以前図書館で知り合い、そのままになっていた楊香春のことを思い出した。暇でしかたのない新治はめちゃくちゃな中国語で楊香春に手紙を書いた。1日で着くはずであるが反応はない。新治はめげずにもう一度書いた。
勉強はすすんでいますか。わたしは時間がありますので、あなたに日本語を教えましょう。あいている時間と場所をきめて、始めませんか。私も中国語を勉強したいです。
いよいよ年越しだ。
12時を合図に、一斉に花火の音が響き渡る。裏通りの暗闇を歩くと、いきなり、ぱちぱちと始まる。棒の先に、蛇のようにつるして火をつける。うさをはらすがごとくに、子供から老人まで、爆竹をならすのである。一巻き150円もする長いやつをおしげもなく火をつける。
紙で火薬を巻いたちいさな爆竹が赤い紙にならんで2メートルもつながっている。
大きめの筒型で、地面に置いて火をつけるとヒユーと言って飛び、パーンとはねるものもある。子供たちは、たけひごの先に火薬がついていて、しだれ柳の枝のように、火が飛ぶものなどを真剣にやっている。
大通りに出てみると、まるで、花火のトンネルだ。ずっと遠くまで道の両側から飛び交う花火が交差して、空を染めている。こんなことしないで、もっと生産的なものにすれば、どんなにかためになるだろうにと思う。繁華街では危険なため花火禁止になっている。
年があけた。新年はきのうまでとはうって変わって、閑散としている。あれほど込んでいたバスも数人しか乗っていない。午後になると、手に手にケーキをぶら下げて年始まわりをする人が目だって来る。
行きつけの食堂はすべてしまったまま、高級料理店しか開いてない。味はわるくないが一人で行ったんでは、効率が悪すぎる。チャーハンくらいがせきの山だ。ホテルの宿泊者も新治一人、ぼうぜんと立ちすくんでしまった。年末の騒々しさが、嘘のようだ。ミスりーには、あっさりふられた。食欲もなくなって、インスタントラーメンや、ケーキを食べた。
ホテルの服務員も交代で休みだ。
2階のドミトリーの担当は、1日おきの出勤である。それにしても服務員は愛想がない。日本人旅行者と結婚した服務員も少なくないのに。
なかでも飛び抜けて愛想がない服務員がいる。怒っている訳ではないのだが、挨拶しても返事がない。こちらから挨拶しても、無視しているという根性は大したものだ。洗面所に下着を干している女性である。残念なことに結婚している。
挨拶には答えるが、難しい表情の服務員もいる。新治が、むさくるしい格好をしてるせいでもないらしい。他の旅行者も口々にここの服務員ときたらとこぼしている。
新治は、挨拶の返事がなくとも、挨拶をし続けた、すると、ある日、突然まぶしい程の笑顔が帰ってきた。やればできるじゃないか。
実は捨てるつもりのタイツを、相部屋になった調子のいい男が服務員にやればいいじゃんと持っていったらよろこばれたというのがきっかけなのだ。寒いとき買ったタイツが女性用だったらしくて、Lなのに小さすぎて一度はいたらほころびてしまった。
それからは、服務員の顔をみると心も和んだ。一泊300円ではサービスなど期待するのが土台無理だ。
服務員にしてみれば、給料は低いし、文句ばかりいう客に対して、いちいち構っていられないというのが本音だろう。タクシーを呼んで下さいと頼まれて、呼んできて、部屋に声をかけたら、ああもういらなくなりましたとしゃあーしゃあーとしてる若者もいる。服務員でなくとも、腹がたつ。
深夜カウンターごしにけんかしていた外人は、12時過ぎてのチェックインだから、安くなるはずだと粘っているのだった。
そういう新治も、西安のホテルに泊まったとき、おつりがないといわれてかちんときて、払わないでいたことがあった。そのことをうっかり忘れた。次の日のチェックのとき払ったはずと言い張って、あとで、払っていないことを思い出した。さすがに困った。その女性の服務員は大量の控えの紙を何度も探したあとだった。そのホテルはいづらくなってそうそうに引き上げた。
ある晩、女性の悲鳴が響き渡った。ゴウカンかと新治は部屋を飛び出した。部屋をのぞくと、天井板がめくれ落ちて、水がベッドの上に流れている。そういうホテルだ。建設中のホテルを見たら、泊まる気が起きないだろう。できたばかりで大きく傾いた高層ホテルんもある。地震対策はなっていない。ブロックやレンガで下から積み上げて作るのだ。唐山地震のときは、家が倒壊して20万人が死んだと言う。
相手がつっけんどんだからと腹を立てていたら、いい旅にはならない、時には、おみやげや、おすそわけを上げても、楽しい旅にしたい。
こういう気持ちがないと、中国の旅は無味乾燥になってしまう。
新治は今回は早めに帰国した。
(八)夢をもう一度
ここでこれまでの失敗を反省して、もう一度頑張ってみようと新治は考えた。
……………信念を持って当たること……………
(目的意識をしっかり持つ。)
船の旅も板についてきた。
上海への旅は船がいい。船が長江の入江へちかづくと海の色が黄土色に変わる。古代、中国では、土の色は黄色と決まっていた。水は黒だ。そう言えば、新治がおさない頃、絵をかくとき地面はやはり茶色か黄土色だった。長江の水は黒ではなく土の色だ。黒潮という言葉がある。水は空の色を移して青いのかと新治は思っていたが、そうでもないらしい。緑色の鉱物を溶かし込んでいる川の色は緑である。上流に黒い鉱物が多い川の色は醤油のような色をしている。
製鉄所が見えて来る頃には行き交う船も多くなり、船を避けながらゆっくりと登って行く。久し振りの上海を一刻も早く見たくて、船端に出る気の早い中国人たちに混じって、対岸のまちをながめると、くすんで褪せた色の中に、昔見た覚えのある風景がある。レンガやコンクリートに囲まれて、手作業で仕事をする労働者。錆びた鉄骨、木造船。
昨晩、船の中のカラオケで、一緒になった女性が目にとまった。上海で彼女を紹介してくれると言った。新治があいさつするとりゅうちょうな日本語で、自分の家の場所を教えた。新治は訪ねることを約束しながら、内心期待していない。誰でもいいというわけにはいかないのである。
さて、いつもより揺れの激しかった船の中ではさしたる収穫はなく、下船の時間が迫ってきた。下船口には、荷物を並べている人が並び、デッキでは、出迎えの家族に手を振っている。その中に新治は目ざとく、一人でいる女性を発見した。それが蘭である。船酔いでもしていたのか、2泊3日の間、全く見掛けなかった女性である。やつれたような、あるいはさみしげな感じで立っていた。新治は何か心にひっかかるものを感じた。
「ニーハオ、日本語わかりますか」新治が声をかけると蘭ははにかんだような仕種をした。「はい、わかります」
「船に酔いませんでしたか。だいぶ揺れましたね。」新治よりは年齢が上のようだが、いい笑顔をしているので育ちはよさそうだ。
「そうですね、少し。」
「荷物はもう出してありますか。」
「はい、向こうにならんでいます。」大きなかばんが3個。
「私の荷物はこれだけです。」新治はカートの上にちょこんとのったちいさなかばんを指さして見せた。
「へえー、ほんとですか」
「重荷をしょって生きたくはありません。ところで、上海から、どこまで帰るんですか。」
「成都です。」
「成都なら行ったことがあります。」新治は成都、蛾眉山に冬登って苦労した話しをし、上海での勉強や生活の様子などをことこまかに話した。話しに夢中になっているうちいよいよ着岸した。下船までにはまだ時間がある。
「あのおばあさんも成都出身なんです。荷物を私に見ててほしいって言ったんです。上海の人は信用できないから。まずどこの出身か聞いたんです。日本へ行ってる人達も、上海人は女は売春、男はどろぼうなんだって。」蘭は明るい笑みを見せた。売春婦と泥棒のコンビなんて何ともすごい。
「日本人は信用できますか。」
「もちろんできます。」笑顔になると、性格のよさが見て取れる。
「上海にいる親戚が待っててくれているはずですけど。」
「もし、いなければ、私が荷物運ぶの手伝いましょう。私は迎えもないし。」新治はミスリーがもしや迎えに来てくったくのない笑顔を見せてくれるんではと思ったが、すぐ打ち消した。夢だったに違いない。
「多分、大丈夫ですよ」
新治は蘭がエイズの検査まである入獄手続きを、すべて済ませるまでかいがいしくつきあった。
……………さりげなさをよそおいながらもぴたっとついていく。……………
(たとえ一方的になっても、話しつづけるのが良い。)
「蘭ちゃん、お帰りなさい。」ゲートを出たところで、蘭の親戚が手を握ってきた。
すぐ親戚の家へタクシーで行くというので、新治も同乗した。
親戚の家は市の中心部で、ちょっと歩くと南京西路である。
蘭の親戚の主人が料理を作ってくれたが、新治の口に合うのはいくらもなかった。新治がトイレに行きたいというと、主人が先に立って案内してくれる。住宅が密集している一角から、大通りに出て、信号を渡ったところだ。帰りには、道がわからなくなりそうだった。
ベッドで休みなさいとすすめられて、新治は夕方まで休んだ。
……………ムードをつくるようにして自分も酔う。…………
(手を握り、肩に手を回し、体を寄せていくことで親密感をます。)
今日は国慶節である。奥さんの勧めで、夕方の南京西路に繰り出した。歩行者天国になった大きな道一杯に人が歩いている。蘭と新治だけになると新治は蘭の手を握って、恋人同志のように歩いた。色つき電球が頭上に並んだだけの装飾だが、その暗さが想いを駆り立てる。
……………まず自分から打ち明け話しをするが、相手が話し始めたら黙ってよく聞く……
蘭は歩きながら、日本でのつらいできごとを話し始めた。新治は手を強く握りながら、黙って聞いている。
時間は容赦なく迫ってくる、成都行きの列車の時間となった。
主人がタクシーを呼びに行った。駅へ向かう。70時間の列車の旅が待っている。
「もっと話したいです。どうして初対面なのに、こんな話しができたでしょうか。一緒に成都へ来ていただけませんか。」
「私はあなたのためにできるだけのことをしたいと思っています。また会いましょう。きっとね。」
発車のベルがなる。新治は放心したように、一人で雑踏に戻った。
……………手紙、電話をまめに……………
上海の人の海のなかで、勉強が始まった。さっぱりすすまない。こんな時蘭がいたらどんなに心強いだろうか。
新治は手紙を蘭に送った。1週間後ホテルの部屋に電話がかかった。蘭からである。新治からも電話をかけるようになった。
蚊の泣くような小さい声で、上海へ来てくれるという。
上海駅は、迎えの客でごったがえしている。2つある出口を行ったり来たりして新治は蘭の現れるのを待った。しかし、出てくる人々の顔を見ているうち、蘭の顔の記憶がうすれてきた。こんな顔ならいいなとか、想像していたところに、ついにやって来た。
ホテルの同じフロアーの、別のドミトリーに入った。
……………そのときだけでも全力で愛すること。…………
新治の部屋が一人になると、蘭は新治の部屋にきた。蘭の部屋は中国人の女性と相部屋になる。蘭が一人になると、新治が蘭の部屋に行った。
病院の授業に、一緒に出て。食事を一緒にとった。蘭は何度も身の上話しをし、子供に会いたいと泣いた。新治は蘭をだきしめ、一緒にベッドに入った。
蘭は結婚するとすぐ、子供ができた。主人が日本に留学したため、蘭も子供を連れて日本に行った。子供を託児所にあずけ、アルバイトと勉強を始めると、主人は勉強をしている大学にねじこんで、やめさせたり、暴力を働いた。蘭に冷たくあたるようになり、離婚を迫ったという。蘭が離婚を決意すると今度は一転、離婚には応じず、蘭に内緒で子供を帰国させた。蘭は、離婚手続きのため帰国したが、主人の親戚の妨害で離婚できず、もう一度日本に行き、勉強したいと言う。
蘭は日本には家族ビザで来ていた。主人とうまく行っていないため、入国できるかどうか心配だ。
幸にも、再入国許可証はとってある。新治はいけると判断した。
蘭は主人とは数えるほどしかセックスしていないと打ち明けた。
和夫が旅から上海に戻って来たのはそれから数日してからだった。乞食同然の格好で入ってきたので蘭は悲鳴をあげたほどだった。あちこちで仕入れた荷物を段ボール箱に入れて運んできた。ろうけつ染めの反物や陶器、本などがぎっっしりである。これでは中国人としか見られない。和夫は持ち前の明るさで蘭とすぐうちとけ、独身の新治とは違ったアドバイスをして信頼をえた。和夫の帰国に合わせて蘭も日本へ行くことになり、蘭も国際乞食を経験するはめとなった。
帰りの船は蘭と同室で夫婦部屋に案内され数組の夫婦と一緒だった。上海で仕入れたインスタントラーメンを食べて過ごした。大阪に着くと予定通りヒッチハイクをするため、高速道路のサービスエリアに向かった。
蘭は女性だから、簡単に乗せてもらえるとおもったが、2人一緒なので、夜がふけても駄目だった。蘭は最後は運転手に助けてと叫ぶようにして泣き出してしまった。
しかたなく、朝を待って、駅に向かった。
…………時間がかかることもある。………………
(九)楊香春
蘭を和夫にたくした新治は、ホテルに届いた楊香春からの手紙をうけとった。
楊香春は友達と正月を精一杯楽しんだ。陰気くさい新治の手紙を受けとってもすぐに会おうという気持ちにはなれなかった。
楊香春の祖父は土地を持っていたため、地主と見做され、文化大革命の時は財産をみんな没収された。叔父は国民党を支持して台湾へ渡っている。父母は上海の国営工場で働き、6畳ひと間と台所という会社の支給するアパートで兄弟3人を育てた。彼女はシンデレラ姫のように台所のかまどの側に寝起きした。土間で零下7度になる冬でも暖房はなし。夏は39度にまでなるという自然条件の中で育ったのである。
当時の上海では生活全般にわたって、所属する国家の末端機関に委ねられていた。
楊香春は自分の意思ではなく高校卒業後、料理の職業訓練を一年間受けた後、両親と同じ会社の食堂へ勤めた。親しい友達が日本留学したときは楊香春も留学の準備をしたが、保証人が見付からず断念した。
子供の頃泳いだ川も楊香春が高校を卒業する頃には腐敗臭を放つようになった。
その川のように、中国の産業も矛盾がふきだしてきていた。
会社は国営にありがちな放漫経営で、幹部は仕事しなくても良い給料をとり、幹部ににらまれれば生活が成り立たないといったありさま。両親と兄ははやばやと転職した。職場は楽しくなく、7年間勤めて職場結婚をしようとしたが、相手は賭け事に夢中になり、会社から見離され、住む家をもらえずすぐ離婚に追い込まれた。上海は個人企業が派手にかせぎまくるなかで、国営企業は赤字で人員整理している。
給料は上がらず、物価は2年で2倍。楊香春は月給は200元(日本円で約2000円)上海ではラーメン一杯が2元、海老ちゃーはんは6元なのだから、とても自立できない。
転職を考えて卒業後は合弁会社への就職斡旋してくれるという日本語とコンピューターの夜学へ通った。しかし、いくら待っても入学時に約束されたは就職斡旋は果たされなかった。
感情の浮き沈みの激しい楊香春はときどき絶望的な気分になって死にたいと思った。そんなとき、新治の何度目かの手紙を受け取った。
新治はホテルのルームナンバーを楊香春に手紙で伝えた。ほどなく、電話がかかってきた。ホテルの新治の部屋で日本語を教えることになったが、実際は新治が中国語を習うほうが主になった。
新治は食べ物が口に合わず四苦八苦していた。それをみかねた楊香春は、弁当を作ってもってくると言い出した。ほどなく毎日弁当を作ってホテルに通うというのが日課になった。
楊香春の母は、弁当をだれに食べさせるのか聞いた。楊香春は腹をすかせた日本人に食べさせると答えると、「流れてきたんだね。それはかわいそうに」と同情した。
楊香春は歌や踊りが嫌いではない。ダンスに誘われた新治はしぶしぶついて行った。ミスりーとは全く違う、きゃしゃで、子供っぽい楊香春とでは気がのらない。腰掛けて新治が疲れて香春の手を握っているうち、香春は寝てしまった。目を開いたときの、きれのよいまなざしだけがなぜか、印象に残った。それ以来、ダンスに誘われても、うまい口実をみつけてことわった。
「新治さん、今度、新しい仕事に変わりました。日本語がいかせる仕事です。」
ある日楊香春が目を輝かせて言った。魯迅公園の中にある土産の店で、日本人の客がほとんどだと言う。給料は250元だ。ところが1週間もしないうちに
「社長が言うには、本物を見せといて、にせものを売りなさいというですが、それはよくないでしょう」と言う。新治が黙っていると、
「私にはできません。」と楊香春がきっぱりと言った。新治は楊香春をみなおした。
差額の20パーセントが売り手の給料にプラスされる。つまり70元でしいれたものを1000元で日本人に売り付けているのである。その店の店員の平均給料は月に6000元だという。
結局、掛け軸は1本も売らず、1か月でその店を止めた。
それからは、毎日ホテルで楊香春は日本語、新治は中国語を勉強するようになった。同時に二人の中は急速に親密になっていった。
(蘭は運よく、大学の研究生になれたが、夫の妨害にあいビザを剥奪された。知人が運動して一旦は延長できたが、1年後、帰国せざるをえなくなった。)
(十)出迎え
新治は香春に、一切余計なことは言わず、ひたすら中国語の勉強を続けた。帰国が近付いてきたころ初めて香春の家を訪ねた。
夜、スラム同然の暗い道をたどって行くと、田舎からでてきた人達のバラックが道路にならんでいる。橋の工事のため、がれきが積み上げてある間を入っていくと、香春の家があった。壁は竹と土と新聞紙でできている。毎日香春が料理を作っていたところには練炭の七輪がぽつんと一つ置いてあった。水道は共同でドアの外にある。寒い夜、あの夜道を冷めないようにできたてのべんとうを持って、毎日通っていたことを初めて知った新治は絶句した。
「どこに寝ているの」ときく新治に、にこりとしただけで答えようとしない。しばらくしてここと指差したところは、土間の台所だった。
新治が上海に戻ってくると、香春は港で新治を出迎えた。
岸壁に待つ香春の姿を見付けたときは嬉しかった。
(十四)見合い
上海へ戻って来ると和夫が迎えてくれた。
「新婚旅行の気分はどうでしたか。」和夫はすっかり夫婦気取りの香春に目を見張った。
新治は和夫にことこまかく話して意見を求めた。
「確かに香春は信頼できる女性だと思う。年齢も同じだし、いいかもしれないね。ところで彼女は5年待ってくれるのかな。」
「そこなんですよ。ぼくも心配なのは、なんと言ったらいいか、悩んでいるんです。」
和夫の友達の太田公彦がまもなく来る予定になっている。
失恋したばかりだというので上海で女友達を見つけてやろうと考えていた。新治に相談するとまずミスりーを紹介したらどうかというので写真を送っておいた。ミスりーと北京方面へ行けたら最高だ。
太田公彦は初めての海外旅行に気持ちが高ぶっていた。横浜の波止場で待ち合わせた見送りに来てくれるはずの友人が現れなかった。船に乗りこみ、やっと間にあった友人二人の姿を見つけて大声で叫んだ。
「おーい、こっちこっち」
公彦のカバンには上海から送られてきたミスりーの写真が入っていた。
上海に到着すると和夫の笑顔が迎えた。
「上海には日本人と結婚したいという女性が5万人いるっていうんですよ。よりどりみどりってやつです。私なんか3日に一度は独身かって聞かれますよ。」公彦はうれしそうに笑った。
ドミトリーに落ちつくとさっそくミスりーを呼んだ。
いつもの黒のミニスカートで現れたミスりーは英語で話す。公彦はというと英語がわからないのでただ、微笑むだけなのである。たまたま同室になった学生の藤木と大阪からきたサリドマイドの古田が英語を駆使してミスりーの歓心を買った。
ミスりーが古田が持ってきたたいこに熱中するので、和夫が間に入った。
古田は両腕が肘くらいまでしかなく、2本の指がついている。それでも一人で旅をしている。
「大阪でる前に女とやりまくってね。ここへ来てまでやらんでも」なんて言っている。
「切符買ってやるから速く北京でもどこでも行けよ。」古田と一緒に船で来た面倒見のよい田中も古田とは合わないらしい。
藤木は一見真面目そうなので、英語がわからない公彦の通訳をかねて、みんなで繁華街へ繰り出した。
ミスりーは公彦はノー、藤木とつきあいたいと言い出した。
和夫はそんならそれでいいや、まあ、他にもたくさんいるからな。と太っ腹だった。
ところが、香春に頼んで数人の女性を紹介したが、公彦は全部断られてしまった。一人は郵便局長の娘というので、意気込んだが、いきなりすっぽかされた。公彦の落胆ぶりは大変なものだった。
それにひきかえ、ミスりーと藤木はデートを重ねていた。
新治は試験が迫っていたので一人部屋にいたが、見るに見かねて夜中に和夫の部屋に来た。
「藤木は陰であなたの悪口はいうし、このままじゃ公彦氏がかわいそうだね。友人としてなんとかしてやらなければ、田中さんが公彦氏をつれて北京へ行くって話してましたよ。いいんですか。」
和夫は急激にきれた。
体が硬直して怒りが脳天をぶちぬいた。朝までまんじりともせずどうしてやろうか考えていた。朝になると廊下の端に置いてあった角材を部屋に持ち込み、壁にたてかけると、公彦に別室にいる藤木を呼びに行かせた。
藤木が入ってくるなり
「てめー、俺たちをなめてんな。ばかやろう。」和夫の低い声が響いた。
「なめてなんかいませんよ。」
「伊達や酔狂でこんなとこにいるんじゃねえんだよ、俺達はよ。これの仕事で来てんだよ。邪魔してくれたな。舎弟に恥じかかせてくれたじゃねかよ。」
「そんな」
「裏で悪口言ってるそうだな。人の女とっといてなんだよ。その態度は。」
「つきあってもいいって、言ったじゃないですか。」
「とっていいとはいわなかっただろう。人にみせびらかせやがって、とんでもねえ、やつだ。」
「どう落とし前つけてくれんだよ。」
「どうすればいいんですか」
「すぐこっから出てけよ。」
「どうしてですか。」和夫は成りゆきによっては藤木を角材で撲殺してもいいと思った。ここは上海で、正当な理由があれば相手を傷つけてもいい。長く上海にいるので何も恐いものはなかった。
和夫はいきなり藤木を引き倒し、2、3回蹴った。藤木は抵抗せず
「わかりましたよ。出ていけばいいんでしょ。出て行けば。」とうめいた。
「おれは本気なんだよ。すぐ出てけよな。」
「足をけられましたよ。」
「おお。だったら俺の足を蹴ってけよ。」
「いやいいですよ」
公彦はただ呆然としていた。和夫は公彦の手をとって繰り返した。
「もう大丈夫だ、どこへも行かなくてもいいんだよ。来週北京へ行こう。」
しばらくして和夫は藤木の部屋へ行き、もたもたしている藤木を見つけるとどなりながらこずき、ごみ箱を蹴りあげた。服務員が騒ぎを聞きつけて見にきたが、ただ見ただけだった。
香春の案内で公彦を連れて和夫は北京へ向かった。新治は試験を終えてから追いかけてくることになった。
(十五)終わりのある夢
香春は汽車の切符をとるために奔走し、安い旅館を探しまわってくれた。
新治と北京で合流して、北の方をまわった。うわさによれば日本人と交際したがっている女性が多いという。汽車の中で若い女性の二人連れに声かけた。にこにこしてまんざらでもなかった。公彦も楽しそうだった。
香春が通訳を引き受けてくれた。ところが香春は新治が女性に近づくと態度が急変する。すぐあの女性は信頼できないとか、嘘を言ってるとかいい、遠ざけてしまうのだ。結局は何度かのチャンスをものにできず、がっくりとして上海へもどることになった。
「それにしても、どうして公彦は中国の女性とうまくいかなかったのだろう。」和夫は新治をうらやましげに見た。
「言葉の問題か。」新治だってはじめから中国語ができたわけではない。いやむしろ中国語がわからないことを、利用して若い女性に教えてもらっては点数をかせいでいたのだ。
「容姿の問題か。」新治だって決してハンサムとは言えない。
新治と和夫は振り出しに戻ったような気持ちで車窓の景色を眺めるのだった。
香春は太っているからダメなんだと言っていたが、公彦はそんなに太ってはいない。なかなかいい顔してるんだけど。
上海が近づいてくると新治は香春の顔をじっと見つめた。
「公彦に友達を紹介してもらったのに、みんなうまくいかなかったね。成田離婚とか、日本に来たらさっさといなくなっちゃう花嫁が話題になっているのにね。」
「本当にお金のために結婚する人がおおいわね。私は結婚しなくないわ。」
「どうして。」
「やりたいことがあるから。」
「やりたいことってなに。」
「通訳試験にパスして通訳になること。」
「むずかしいんだよね。それならぼくも応援するよ。」
「新治さんが一生懸命勉強しているのを見てたら、私も勉強したくなってきたの。」
日本人との結婚を夢見ている女性が多い中で香春は留学をまじめに考えているようだ。新治はますます香春を信頼できると思うようになった。
汽車は夜も昼も走り続け、いくつも駅をとおり過ぎた。新治は香春の体に片手をまわしたまま寝た。中国で日系企業に就職して香春と暮らすのもいいな。夢を見ているようだった。
和夫は次の旅を夢想しながら、移り変わる窓の景色を見ていた。
人生はいつかはさめる夢、終わりのある旅。
香春のような有能な女性と旅ができればこわいものなしなのだ。新治をちょっぴりうらやましく思った。
第1部 終了