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実践 房中術 |
和夫は中国気功の中に房中術というものがあると知り、とても興味を感じていた。
気功関係の本もまずは房中術の項目に自然に目がいった。
小周天は道教系の代表的な功法で、房中術とも密接な関係がある。
和夫の気功の先生は道家の紫霞功の伝承者で、童子功と小周天功を行い、気功マッサージや美容功を得意としていた。童子功は童貞の少年が行う気功法だそうだ。
先生は子どもの頃から童子功を修練し、30歳近くなっても結婚せず、従ってセックスはせず、精液をもらすこともないという。和夫にも練功期間中は女性と接触をしたり射精してはいけないと注意をしていた。しかし、小周天を練習すればおのずと性欲は高まり、女性と接触したいという欲望もでる。
和夫はそういう先生の注意とは裏腹に自慰行為をやめることができず、女性と接触することも断念できずにいた。
先生はと言えば、たいへんなヘビースモーカーで強い中国タバコをおしげもなく和夫にすすめるのである。それでなくても空気の汚れの激しい上海ではのどが痛いのにタバコで更に追い打ちをかけられていた。
毎日午後2時に小周天の練習をするのが日課となった。先生と一緒にベットの上に横になり、全身放鬆(リラックスしてゆるめる)意守丹田(かすかにへその下にあるという丹田を意識する)をひとしきり行い収功(気功を終わる動作、必ず行う)し、続いてベットの上に並んで座って行い、収功、最後は地の気を両手で吸収するようにして、丹念に収功して終わる。
理論的に言うとこのようになる。丹田にまず気を充分に蓄え、その間おしっこにも注意を配り気を消耗しないようにする。100日程で気が満ちてくる。そこで慎重に複式呼吸法の手助けによって肛門へ気を導き、さらには、尾底骨から背中を背骨に沿って(督脈)頭頂まで登る。このときにすかさずあらかじめ形成していた体の真ん中の線(任脈)を口、首、胸部、腹部と降ろし、一周する。十分に気が蓄積されていなくても意識を使って気をめぐらせることができるが、これは本来の小周天とは異なる。
小周天の練習が進んだある日、ホテルの部屋で和夫は自慰行為をしながら小周天の道筋に沿って、意識で気をめぐらせていた。今思えばなんていいかげんなんだろうと思うのだが、そのときは無我夢中だった。深い呼吸に同調させて気をまわしていたその時だった、それまで感じたことのない性的快感がフラッシュのように頭の中に入った。すごい気持ちよさだった。背骨から起こった力強いけいれんが快感の波となって頭に登り全身何度も何度もかけめぐった。幸い和夫は丹田に気を戻す収功法をよく練習していたし、体の前の線に沿って気を降ろすことも得意だったので、混乱はなかったが、不意にこういうことになったら行き場を見失った気の流れに翻弄されて体調をこわしてしまったかもしれない。
和夫はこの今まで知らなかった感覚のとりこになり、この感覚をずっとずっと味あいたいと願う。長寿という言葉が重みを増した。それ以来あれほどやめられなかったタバコをぷっつりとやめ、どうしても最後は射精しなけらばいられなかった自慰行為も射精せずに終わるようになり、セックスも自制できるようになった。
それからは小周天の練習か自慰行為か区別ができないほど、頻繁にこの方法を行った。指先で射精寸前につぼを押して射精を回避する方法も和夫は行っていたが、それに比べてこの方法は格段に気功的だし、パワフルであった。軽く気がまわっただけでこれほどの衝撃がはしるのだから本格的な小周天がいかにすごいかはこの経験からもわかる。
かいつまんで書くとこんな感じである。手でペニスを刺激する。ペニスが熱くなり射精前のような感覚のとき、刺激していた手を休め、深い呼吸に連動させるようにして下半身の筋肉を緊張させ丹田にひきつけるようにし、同時に背骨に沿って上半身に向けて熱いものを吸い上げるようにする。するとぶるぶるっと体が腰の奥の方からけいれんして背骨がまっすぐひきのばされるようになり、快感が頭の中にわきあがってくる。頭の中でフラッシュがたかれたように快感がはじける。自然に深く大きく息がはきだされしびれにもにた余韻につつまれる。これが何回も繰り返されるうちに至福の喜びが全身をひたす。(具体的練習方法はこのホームページで紹介している本にも書かれています。)
和夫は折りに触れ新治にも教えていたが、その前にじっくり気功の基礎を練習しておく必要があると思われた。
新治は和夫の荒唐無稽とも思われる話しをうのみにしていたわけではないが、香春との結婚が決まるとやってみたくなっていた。
実は香春は和夫の影響で女房中術を練習していたのである。
二人の結婚式は親族だけのひそやかなものだった。新居が決まった当初は雑用に追われそれどころではなかったが、次第に生活が落ちついてくるにしたがって性への関心度も高まっていった。
香春はまず基本的な呼吸法と連動させた下半身の筋肉のトレーニングを行った。上向けに寝てふとももを上げておこなったり、ゆっくりとリラックスして行ったりそのときの気分でいろいろためしてみた。めきめきと感度がよくなってくるのを感じられ、膣がしまってくるのがわかった。
さらに子宮を思い浮かべて膣と子宮頚部を収縮するようにイメージしていった。
香春は性交中、新治が射精をするときペニスがぴくぴく動くのに気がついた。射精後は自然に終わってしまうのが常だった。
新治はある日香春に二人で房中術を行ってみようと提案した。
和夫は寸前に射精をとめるためのこつを新治に教えたが、新治が腰をひこうとするのを香春が夢中になってしまってはなれなかった。
香春は性交中にも子宮を収縮するイメージ練習を重ね、性交中にオルガスムを感じられるようになっていった。新治は射精をしないように努力しても香春のしまりの良さに耐えきれず、ついいってしまうのだった。
その話しを聞いた和夫は香春に協力するようにアドバイスした。
お互いにいきそうだとか、そこが感じるとか、口に出すようにして興奮状態をはっきりわかるようにした。いたわりの言葉をかけあうようにした。
この結果香春は射精のタイミングをはかりやすくなり、直前で動きを止めるようにした。はぐらかされるような不満な気持ちもあったが、新治のやさしい言葉でとめている間に次第にやすらぎを感じるようになっていった。新治は和夫の教え通り自慰行為を通して、射精を止める方法を繰り返し練習した。こうして新治も射精寸前で止めることができるようになった。こうなってくると性交での体力消耗はなくなり、2時間も続くことも多くなり、休みの日などは一日2回ということもあった。
香春は日本語学校の成績もよく、通訳なども知り合いから依頼されるようになり日本での生活に慣れてきた。初めは口に合わなかったラーメンもいつのまにか好きになっていった。
ある日新治はいつものようにペニスは射精と同様の動きをしているのにもかかわらず射精をしなかったことに気がついて驚いた。精液はでないが、射精と同様の快感が体をつつんだ。新治は信じられなくてもう一度ためす勇気がでないほどだった。感覚的にはまだ精液が出ているかどうかはっきりわからないかったが、普通なら射精が終わるとなえるのにその後も勃起し続けていた。
香春は膣内で射精したときのペニスのぴくぴくした感じがはっきりわかった。
これは画期的なことに違いない。新治は感無量だった。さっそく和夫に報告をした。和夫はあたりまえのように答えた。
「初めてから1年半だよね。そうか、そこまですすんだか。早いな。きっと香春が協力してくれてるせいだろうな。」和夫の指導がよかったのかと内心うれしかった。
「まさか、香春の膣の圧力でとまったわけではないだろうね。そこまでできれば香春も立派なものだけど。」
「いや、香春の締め付け力はあまり強くなっていないみたい。自分が感じてしまうから。」
どうやら新治の下半身の筋肉の強化のたまものらしい。
「次はお互いの気の交換と循環だね。射精の抑制とどちらが先ということもないんだが。副作用は意識を使ったときにおこりやすいらしいんだよ。肉体的なコントロールができるようになってから、気のコントロールに入っていくのがいいんだな。」
新治は和夫の話を聞きながら幸せな気分になっていた。
香春はうちまたをこすりつけるように左右に動かすことで大きな快感を得ることができ、何度でもオルガスムを体験できるようになってきていた。多くの女性がクリトリスの刺激によってオルガスムを得られるといわれているが、香春の場合は練習の結果、膣と子宮の感覚によってオルガスムに到達でき、クリトリスへの刺激はほとんど必要なくなっていた。さらには性交中何回でもオルガスムを感じることができる。
これで第一段階合格である。
気の交換と循環
新治と香春は新たなステップを踏み出した。これまでの肉体的な結びつきにプラスしていけばいいのである。まずは呼吸の同調をしっかりととっていき、抱擁したときに自分の中に流れているエネルギーを性器、口、呼吸、全身で交流させていく。ところがいざはじめて見ると思うようにはいかなかった。性器に指を触れながら性的な陽の気を送ろうとしていたがいつのまにか外気治療のイメージになって、足の筋肉の痛みをさぐってしまったり。性交中にキスをしたまま呼吸を合わせていくうちに急に口臭が気になってしまったり、手のひらを香春の乳首にあてて気を送ろうとすると、香春はくすぐったがって笑い出してしまうしまつ。まあ幸せには違いないのだが。努力している割には効果が実感できなかった。例によって和夫に相談してみることにした。
2人はガストで食事をした。
「それはそうだね。充分肉体的に満足している二人に気の交換の必要なんかないもんね。今まで通りやったらいいよ。」和夫はひとくさり話しを聞いてこう結んだ。
「上海にいた頃を思い出すね。」和夫は新治や香春たちと上海で暮らしていた頃をなつかしく思い出した。
「蘭はどうしているかな。」
「あれから全く連絡がないんだよね。」
「黄敏とは会ったことなかったんだっけね。」 新治と会う前に上海で世話になった女性のことを和夫は思い出した。
「気を合わせるっていうことは、その相手に対してもっと近づきたい気持ちがあっておこるものじゃないかな。」
「いい娘をものにしたいときとか。」
「黄敏は気功の心得のある女性でね。引き込まれるような気の魅力を感じたんだよね。手のひらを向かい合わせるだけで労宮穴が脈打ってくるし、素肌に手のひらをおくと、情感が伝わってくるのがわかる。服の上からだけど、デルタに手をおかせてもらって、性エネルギーの交換もやったことあった。」
「それでどうでしたか。」
「そりゃもう、効果抜群。気を送ってもらうと熱いものが背骨に伝わってくるのを感じる。心まで読めてくるような感覚で。目も見つめ合えばもうすごいよね。ちょっとはなれられなくなる。黄敏相手ではこっちの気持ちが動いてしまう。これを応用したら人の心をつかむのもそうむずかしいことではないんじゃないかな。」
「一発で恋におちることもあるわけですね。」
「そういうことかな。性エネルギーと精神的愛情を流せば。日本に戻った時にたまたまマッサージを頼まれた知り合いに試みたんだよね。次の日から毎日電話がくるようになって。その女性が言うには今まで感じたことのない熱いものに全身を包まれたような不思議な感覚になり、あなたをどうしても忘れることができないと言うんだ。すがりついてくるんだよ。ちょっと驚いたけど。そういうことは大いにありうる。でも、それ以来やらなくなったね。」
「恋人だらけになっちゃう。そうか、恋人がいない人にはいい方法かも。」
「そうかな。試してみる価値はあるかな。」
「それ以来人間関係は申し分ないね。」
「気が相手の体を流れるわけ。」
「中国の気の理論に基づいているから経絡を流れる気、男性の陽の気と女性の陰の気が交流するということになる。セックスの最中なら性器と口を経由して呼吸に同調して全身の経絡を流れるということになるかな。」
「体を密着させていると、皮膚からも気が交流している感じがあるね。」
「理論は理論だけど、実感としては、思ったところに思ったように気が流れていくんだろうね。はじめは男は丹田部からペニスへ降りた後、尾底骨から背骨を頭まで。女は子宮からバギナの入口向かい、尾底骨から背骨を頭まで。性エネルギーを上げるということになる。しかし、これも実際はそう簡単に言えないんだと思うよ。」
「頭に上げるのは副作用のもとだというんですよね。」
「香春なんかそんなことはやっていないよね。」
「やってないでしょう。ぼくも頭にあげちゃまずいと教わっていたし。」
「私の場合は問題はないんだけど、上がったように感じても実は上がってないのかも知れないな。」
「そんなことはないでしょう。やっぱり任脈の通りがいいので、すんなり丹田に降りてくれるんじゃないですか。結構それで困っている気功仲間はいますからね。」
「上海でも問題になってたね。私は運がよかったのかな。」